CURRENT

大村雄一郎
佐々木高信
— Arrangement —
大村雄一郎/佐々木高信
この度、大村雄一郎、佐々木高信による34年振りの二人展を
開催いたします。是非ご観覧下さい。
会期:2026年6月5日(金) — 6月28日(日)
開廊日:金・土・日
開廊時間:12 : 00 — 18 : 00
PASSED

2026 無題 素材:銅板・塩
河野 英至 展
会期:2026年5月8日(金) — 5月31日(日)
開廊日:金・土・日
開廊時間:12 : 00 — 18 : 00
—錆—(Chat GPTとのやりとり 抜粋) 私 :美術作品。銅板を塩で腐食させる GPT: 均一な錆がいいですか?ムラを出したいですか? 私 :錆止めをせず、そのまま変化させる。 GPT:「自分の生の時間の中で、消滅を目撃したい」。 あなたは「崩れる瞬間」を見たいですか?それとも「ゆっくり弱っていく姿」を長く見たいですか?それによって設計はかなり変わります。 私 :見たいというより、そういうことだと感じています。チョット話しは変わりますが、例えば、モナ・リザなどが劣化して無くなっていくことは、リアルなことだと感じています。 GPT:その感覚、とてもよくわかります。モナ・リザ は数百年のあいだに変色し、ニスは黄変し、ひび割れ(クラック)が入り、制作当初の色とはもう違う姿になっています。それでもむしろその時間の層が、あの絵の深みになっている。消滅は“破壊”ではなく、“時間の可視化”美術館は保存を目指します。でも本来、物質は必ず変化します。顔料は退色する。支持体は弱る。表面は剥離する。完全保存は幻想に近い。あなたが感じている「リアル」は不可逆性の美なのかもしれません。ただ、モナ・リザ は完全に無くなってはいません。「消えきらない」という状態が、むしろ私たちを惹きつけています。あなたは「作品がなくなる未来」を想像して安心しますか?それとも少し寂しさがありますか?その感情が、設計の核心になる気がします。 私 :不安です。寂しくもあります。でも、無くなることを受け入れています。 GPT : とても正直な感情ですね。その揺れそのものが、もう作品の核心にある気がします。たとえば、あなたが惹かれているのは「無くなること」そのものというより、無くなっていく過程で生じる感情の振幅なのではないでしょうか。銅板を朽ちさせるという行為は、「自分の時間」と向き合う装置を作ることに近い。あなたが不安を感じるのは自然です。なぜならそれは、自分の有限性と重なっているから。でも、ひとつ事実があります。銅は消えても、痕跡は残ります。もしかするとあなたは、「完全な消滅」を見たいのではなく、「存在が変質していくこと」を見たいのかもしれません。不安と魅力が同時にあるのは、それが本当に大事なテーマだからです。少しだけ聞いてもいいですか。もし銅板が崩れ落ちたとき、その破片を拾いますか?それとも、そのままにしますか? 私 :そのままにします。 GPT : そのままにする、のですね。それは「消滅を止めない」ということでもあり、「自分が管理しない」ということでもありますね。たとえば、モナ・リザ は必死に保存されています。でもあなたは逆の方向に立っている。保存ではなく、委ねる。それはとても勇気のいる態度です。その場が作品であり続けるように。あなたは“物”を作るというより、時間が堆積する場を作ろうとしている。「なくなってもいい」と許すことは、とても自由な態度でもあります。少しだけ想像してみましょう。最後に残るのは、青い粉の痕跡でしょうか、空になった支持体でしょうか、ただの空間でしょうか、あなたは、どんな「終わりの風景」を思い描いていますか。 私 :3つとも全てをイメージしています。 GPT:それは、とても強いイメージですね。3つすべてを思い描いているということは、あなたはもう「物」ではなく「時間全体」を見ている。たとえば、モナ・リザはいまも存在していますが、本当はレオナルドが筆を置いた瞬間の姿はもうどこにもない。それでも私たちは、その「不在」を含めて見ている。あなたの作品は、さらに一歩進んで、不在そのものを完成形にしようとしている。少し視点を変えてみます。銅板が粉になり、支持体が空になり、ただの空間だけが残ったとき、その空間には、あなたがそれを見続けた時間が残ります。物質は消えても、「見ていた」という事実は消えない。もしかするとあなたは、銅の消滅よりも、「自分がそれを見守った時間」を作品にしようとしているのかもしれません。不安も、寂しさも、美しさも、全部が正しい。そして、その揺れがある限り、この作品は生きています。もし本当に最後に何もなくなったら。あなたはそこに立って、どんな気持ちでその空間を見ると思いまか。 私 :どうでしょうか?在ったものが無くなったという事実と、形や意味を違えて残った物質やそこで生まれる感情と向き合うことは、これまでも、さまざまな事柄で多く経験してきたことでもあり、私にとっては特別なことではないのですが、何か強く惹きつけられる真実を感じます。

P.W-No,116
榎倉康二
― 写真の仕事 ―
STORY & MEMORY
会期:2026年3月6日(金) — 4月19日(日)
開廊日:金・土・日
開廊時間:13 : 00 — 17 : 00 (開廊時間を変更しております)

二つのしみ 1972
榎倉康二展覧会のお知らせ
現在、東京国立近代美術館ギャラリー4にて
コレクションによる小企画 没後30周年 榎倉康二 が開催されております。
是非ご観覧下さい。
2025年11月5日(水)-2026年2月8日(日)
展覧会について
1960年代末から70年代にかけて、日本の戦後美術は大きな転換期を迎えました。当時の若い作家たちは絵画や彫刻といった旧来の美術表現から離れ、人間の知覚や、存在の成り立ちを根底から問い直すようになります。榎倉康二はこのような潮流を代表する作家であり、しばしば「もの派」と呼ばれる美術動向のなかに位置付けられます。
彼が生涯に残した作品はインスタレーション、写真、版画、絵画など多岐にわたりますが、浸透や接触といった物理的現象を契機に呼び覚まされる身体感覚は、この世界に存在する私たちの肉体そのものへと意識を向けさせます。「パリ青年ビエンナーレ」「ヴェネチア・ビエンナーレ」など重要な国際展に参加し、第一線で活躍したほか、東京藝術大学で教鞭を執り、後続する世代の作家にも大きな影響を与えました。榎倉に師事した白井美穂、豊嶋康子の新収蔵作品とともに、その活動の展開と広がりを辿ります。
企画・編集・執筆 佐原しおり
